税理士(私)の出身大学について

自分の出身大学について

意外と自分の出た大学について説明をすることがないので

需要があるかなと思ってお話します。

私は国立の滋賀大学経済学部 情報管理学科をでています。

広島出身なのになんで?と思われるかもしれませんが、センター試験の結果をみて決めました。

高校は広島県内の中高一貫の進学校です。

当時は東京の私立大学文系に行くことを目標としていたので、

私立専願生の国立センター利用という今でいう

国立専願生の私大センター利用(現共通テスト)

とまるであべこべの方法をとりました。

現役で前期日程で通っています。そのせいで受験は早々と終わったイメージです。

受験科目はセンター試験は英語、国語、社会(日本史)で全科目合計で

80%オーバーでセンター3科目で受けられる国公立を探すと

いきなり合格圏内に入りました。

英単語ターゲット1900丸暗記したのが功を奏したようです、

英語について詳しくはこの記事を参照ください。

難関私立対策をしていたのでセンター試験は比較的簡単にとれたのです。

国立の2次試験は総合問題(3時間?)でした。

確か後期も滋賀大学にして、C日程の高崎経済大学を入れていました。

国立大学を受けるために旅をする

私立は東京でまとめて受けていて、法政大学経済学部に受かりました。

すでに国立を受ける前にこの合格の報告を受けていて、浪人しなくてすむと安堵して

受けに行くことになりました。

この、浪人しなくてすむという油断が結構禁物なのです。合格校が出ると一気に

安心してしまい、最後まで全力を出せない人がたくさんいます、私もそうでした。

東京からの帰りに滋賀県に宿をとり、2次試験を受けるためだけに旅をしたのですが、

もうそのころはヘロヘロに疲れていて、実家に電話して帰りたいと言うも

せっかく申し込んだんだから受けるだけ受けてこいと言われました。

そんな状態なので気合が全く入りませんでした。

国立2次試験は全く無対策で受ける

早く広島に帰りたいとばかり思っていて、総合問題は過去問みても意味がわからん

からどうせ誰も対策できないと割り切ってほとんど無対策で臨みました。

2次試験はわけのわからない問題が出て、答案を埋めることだけを考えました。

兄に事前に相談すると、誰もどうせできないから、気合で埋めた奴が受かるんじゃないか

とのアドバイスをもらっていたからです。

英語の長文も混じっていて分析をさせるという、誰もとけんだろこれ、

みたいな問題でした。

なにはともあれ、自分なりに全部埋めて帰ってきました。

第一志望の学科に番号がない!

そして合格発表のレタックスが来ます。経済学部は6学科あったのですが、

第一志望の学科のとこで番号を探すのですがありません、

うわっ落ちた~って泣きそうになりました。

やっぱ国立は難しいのか、と落胆したのですが、いや待てよ、

俺はちゃんと答案全部埋めたぞ!受かってる可能性だってあるぞと

よくよくみたら他の学科のところに番号があるじゃありませんか。

どうやら、2次の出来が悪かったので他の学科に回されたようなのです。

センター試験で逃げ切ってかろうじで受かったようです。

どの道、受かったことに変わりはないのでこの時点では全く気にしていませんでした。

うちが国立至上主義の家庭だったので現役合格できて非常に嬉しかったです。

この時点で滋賀大学後期、高崎経済大学C日程を受けなくてよくなり

あ~やっと受験が終わったんだと嬉しくなりました。

私文型(英、国、社)で入学したのに数学が必須の学科に入れられる

当時は滋賀大は6学科あって、受かる可能性の高い順番に志望を書いて

2番目に引っかかったのですが、これが、不幸なことに情報管理学科という

数学が必須の学科に入ってしまいました。

1回生のときにこの必修の単位数学を落として

2年間もやる羽目になり相当苦労しました。

高校2年の段階で数学を捨てて、私文型、英語、国語、社会に絞って受験したので

全く忘れ去っていて、数学は「意味の分からない記号の羅列」としか映りませんでした。

滋賀大学は学部が2つあり単科大と総合大の狭間の大学だった

経済学部が彦根市という場所にあり、教育学部が大津市にあります。

距離は40kmほど離れていてほとんど単科大学みたいでした。

経済学部が一学年500人、教育学部が250人くらいで、経済学部は後期の

募集人数が多いので、前期に落ちた人達に人気の大学でした。

実際、浪人生の割合は5割を超えていて、1浪生が多かったです。

就職は金融業界に強く卒業生は銀行員になる人が多かったです。

まとめ

そんなこんなで4年間留年もせずに卒業することができました。

そしてそのまま院試を受けてストレートで修士まででます、24歳になっていました。

当時はやりたいことが決まってなかったので、文系にして最短で国立大学へ

進学するという選択肢は正解だったと思います。

勝因は部活を2年時秋に辞めたこと、3年生になる時に国立理系コースから

私立文系コースに文転したこと、私立の抑えとして国立が受けられるように

センター試験を受けていたことでした。

しかし、この時安易に文転して、しかも結果を出してしまったこと

がその後の人生を大きく狂わせることになるとは

この時はまだわかりませんでした。

編集後記

風疹の検査にいってきて結果がでました。予防接種を受けなくて良いとのことでした。

風疹は小学生の頃、クラスで大流行したときにかかりました。

 

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