ある国では価値があっても他の国では価値が全くない食べ物の話

職場で雑穀米を配った話

ある日、実家に寄ると母親が雑穀米をくれました。

なんでも口に合わなかったそうです。

そこでまだ賞味期限内だったので私が勤めている職場で配ってきたらみんな

喜ぶんじゃないかと思って持って行ったのです。

予想外に好評となる

そして、その小分けにされたパッケージの雑穀米を職場に持っていって

「今日の夜ご飯は雑穀米よ~~~~~~♪」と言いながら

一人一人にサンタさんのように配ると歓声が上がります。

「えっっっ、いいんですか?!ありがとうございます」

と皆口々にお礼をいってくれます。

所長の奥様からは「あら~うちもこれ愛用して食べとるんよ」

とまで言われます。

自分がいらないものでもタダなら人は喜ぶ

雑穀米は健康志向で珍しい物なので、人から貰うと

結構嬉しいと思います。ごはんを炊く時に一緒にいれるだけ

なので簡単に食べられます。

なので、皆の反応は至極当然なことだったのだと思います。

あげたほうとしても、あまり美味しく思わなかった雑穀米が

ここまで効果てきめんになるとは予想外でした。

そもそも、健康志向の食品なので雑穀米は美味しくなくてもいいのです。

適度に良薬は口に苦し感があるので元々、雑穀米はそんなもんだと

体にはたぶんいいんだろうと納得してもらえる食品なのです。

自分がいらないものでもあげたら他人は大喜びする、

スーパーヒーローになれる、これはすごい発見でした。

世の中は貿易で成り立っている

大昔から漁村と山の民は物々交換でお互い取れすぎて不必要になったものを

交換して生きてきました。

漁村ではある一定以上の漁獲高は不要なものだけど

山の民にとってはこれ以上のご馳走はないものだったのです。

反対に山で採れたイノシシなど漁村にとっては貴重なけもの肉となります。

これを国家規模で行っているのが貿易です。

貿易の場合は、最初から自国には不必要なものを大量生産

しています。

そしてミニマムでやるとヤフオクやメルカリになります。

そこでは自分にとって全くいらなくなったものが値をつけられて

売られています。

ある国には価値があっても他の国では価値が全くないもの

松茸

たとえば、中国人にとっての松茸など、ただの奇妙なキノコにすぎません。

ところが日本に持ち込めば信じられないほど高い値段がつきます。

タコ

アフリカ近海でとれるモーリタニア産のタコもほとんど日本と中国に輸入され

ヨーロッパ人やアフリカ人にとっては食べられない外道です。

ヨーロッパ人にはタコは昔から宗教上の理由もあって悪魔の魚とされ忌み嫌われており、

見た目からも気持ち悪がられて絶対に食べない人が多いですが

日本の縁日では、「たこ焼き屋」が今も昔も一番人気で大盛況です。

ワカメ

同様に日本では毎日食卓でおなじみのワカメも外人は決して食べません。

私がロンドンにホームステイに行ったときにワカメの味噌汁を食べていたら

「うっぷ、オェ、そんなもんよう食うな、絶対俺には無理だ」

というような顔を向こうの子供にされました。向こうで海藻を美味しそうに食べたら

変人扱いされます。よくそんなゴミを食べるなと本気で思われます。

ナタデココ

東南アジアで商社がナタデココを発見した時もそれが日本で大流行するとは

誰も思ってませんでした。

海外では原価はほとんどタダ同然のおそろしく価値の低い食品です。

いくら・筋子

ある時、テレビで北欧諸国の漁港を映していました。

いくらの原料の筋子を手にとった漁師が、これはうちの国では

生臭くて誰も食べないから捨てるといって海に無造作に

放り投げるシーンが放映されました。

それみて唖然としたのを覚えてます。

なんちゅうもったいないことをするんだこの外人は!と思いました。

みてて泣きそうになりました。

まとめ

自分がいらないものは実はゴミではありません。

他人にとっては宝の山の可能性は高いのです。

それが喜ばれそうなところに持っていくことは

ひとつの才能であるとさえ思います。

今は物が工場で大量生産され、消費しきれなくなったら

そのまま捨てられる世の中です。

少しでも食品ロスを減らすためにフードバンクなどができています。

それ以外でも、限られた資源を活用して

欲しい人のもとへ届けることができる社会を

作ることが大事なのではないでしょうか。

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