一緒に税理士資格を目指していた人たちの行方

予備校で出会った人で資格を取れた人はいない

税理士の予備校に通いだしてから出会った人で知り合いになった人が4人います。

その全員が資格を取れませんでした。

今では連絡も取れていません。

これは、資格の合格率を考えたら普通のことなのです。

AさんとBさんは東京で出会いました。CさんとDさんは京都です。

この資格を目指してみて、脱落者の連続なのだと悟ったのは

ある予備校主催の飲み会に参加した時です。

決起集会を開き、それから2週間後に

参加していたある女性が結婚相手の母親の面倒を見るからやめます

と言ってきて早々に脱落し姿を消しました。あれほど一緒に頑張ろうと

言っていた人が一瞬で姿を消す、残された私たちにはいいようのない

喪失感が漂いました。

高卒の男性Aさんのケース

Aさんは高卒で37歳の男性、税理士の受験資格がないので

会計事務所勤務の実績で受験資格を得ていました。

出会っておおよその経歴を聞いた瞬間、この人が受かるのはとても難しいと

思いました。税理士試験の難度がまったく彼のキャリアとマッチしてない

感じを受けたからです。当時の税理士試験の難度は恐ろしく高かったので

大卒の学歴もなく、歳をくってしまったのは相当不利と思いました。

その直感どおり、私が取れてから連絡すると諦めたようでした。

大卒の男性Bさんのケース

Bさんは私より1歳年上、当時28歳の男性で大卒でした。

東京で小売業に就職したのち一大決心をして地元に戻り

税理士試験に専念している方でした。

私と同じ時期に財務諸表論が受かったのですが、その後5科目を目指すも

難しかったようです。これもやはり試験難度が厳しすぎるのにも関わらず

大学院などのルートをとらなかったのが敗因でした。

このタイプは典型的なよく見る受験生で、他にも会計事務所勤務時に

似たような人がごまんといました。

いずれもデキるので途中まではいくのですが、紙一重で資格は取れません。

大卒の女性Cさん、高卒の女性Dさんのケース

自分に女性の知り合いができると全く思ってなかったのですが、

同じクラスになり予備校主催の飲み会で知りあいました。

Cさんは女性の花形職種を退職して打ち込んでいる主婦でした。

とにかく簿記ができる人で、合格率が9%の時に受かってました。

3科目までいってからは産休に入ってフェードアウトしました。

簿記1級をとってから参戦したDさんも恐ろしく勉強ができる人

でしたが3科目までいって止まったようです。

仕事をしながら頑張っていて、資格をとって女性税理士

として働きたいという夢を持ってました。

上記2人ともここまで人生かけて科目合格もしてるのに

最終的に取れてませんからね、いかにおそろしいかがよくわかります。

実際に科目合格までいく人たちと一緒にやっていたので刺激になって

良かったです。結果的に一緒になれなかったのが残念です。

同じ教育機関で出会った人たち

予備校で知り合った人たちに対し、同じ大学の友達だった人たちは

税理士になれた人がかなり多いです。

なれなかった人を探す方が難しいくらいです。

しかし中にはやめた人もいます。

試験を始めたばかりの駆け出しの友人を受験ベテランになっていた

友人と一緒に詰めて税理士を諦めさせたことがあります。

「AとかB判定じゃ意味ないんだって!合格しないと全く意味ないんだって!」

「そんで科目合格だけじゃ意味ないんだって、資格とらないと全然意味ないんだって!」

とその友人はまくしたて、勢いに押されて諦めた友人は教師になっていきました。

なれた人は皆が大学院のルートをとっていたことが大きかったです。

なぜ予備校であった人たちはなれなかったのか

予備校に通っている人をみるに大学院に行ってる人が意外と

少なかったです。これは、薄々そのルートは知っているがとりあえず、

予備校に行ってみてから考えようという人がかなり多いからです。

そして一旦目の前の試験に対するカリキュラムが始まると、

もはやそれ以外のことなど全くできないくらい

ハードスケジュールになり、

落ちては受けるの繰り返しになるからです。

それ以外のルートなどを考える暇もなく、気がついたら数年たっており

もうこれ以上できないと脱落して辞めていくのです。

そっから迂回ルートをとってから再度狙う人はほとんどおらず

皆が予備校に煽られ利用され、力尽きて消えていきました。

私自身もあと一歩でやられるところまでいったので

他人事とは思えないものがありました。

今回は税理士資格についての非情な現実を紹介しました。

MS-Japan資格の学校TACLECオンライン(東京リーガルマインド)

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