ペットボトルのキャップを集めてリサイクルさせようとする人がまだいるのを見て

ペットボトルのフタは1個いくらの価値があるのか

賃貸マンションに住んでいて、ペットボトルのフタを別に集めて

せっせと回収している人がいます。

私はそれを絶滅危惧種の生物を見るような目で見てしまいました。

というのも、ペットボトルのフタを集めることには

もはや経済的価値などないことは

とっくの昔に証明されていたからです。

15年くらい前の一時期、回収するのが社会全体で流行った

ことがあったのですが輸送費と人件費が膨大にかかることから中止になりました。

キャップ1個2.5gの価値は0.0125円です。

100個集めてギリギリ1円になるかどうかの代物です。

ペットボトルのフタのリサイクルは全くペイしない

フタの買取値は1kgで2円だそうです。

こう書くと値段がつくように見えますが

回収してもらうのに100kg以下は1,000円かかるそうです。

すると頑張って100㎏を集めたとしてもキロ2円なので200円です。

200-1,000=△800円

差引マイナスになるので、それだったら1,000円を直接寄付したほうが

ワクチンがたくさん作れますよねというカラクリでした。

間違ったビジネスモデルの典型的な例です。

一度広まってしまった信仰心は容易には払しょくできない

私は集めている人からフタ1個2円なんだと言われました。

おそらく、単価を間違って覚えこんでしまっているのだと

思います。

仮に1個2円だったらもうそれは立派な資源そのものです。

そして、回収する人件費はボランティアでタダだから

輸送をなんとかすればモノになるとのこと。

モノになるとはどういう意味かわかりかねますが

とにかく熱心に回収をやめようとしません。

最初それをしているのを見た時、それとなくやんわりと

集めてもあまり意味はないようですよ。と言ったのですが

決してやめようとしませんでした。

それもそのはず、一時期は世の中でフタ専用の回収ボックスが

あちこちに出回っていたくらいで、自分は意味のある行動を

していると脳裏に刷り込まれてしまったからなのです。

ワクチンでアフリカの子供を救うという大義、信仰心

は強烈だったのです。

人間は意味があると思い込んだらペイしなくても行動を続ける習性がある

これは、最初のとっかかりが、発展途上国の子供たちのために

ワクチンを打つ資金が必要で、ゴミとして捨てているペットボトルのフタ

をみんなで集めたら買い取ってもらえて、そのお金を寄付すれば

一石二鳥だという事業を誰かが始めてしまったのが始まりです。

それがウケてブワーっとあっという間に全国の小学校に広まり

フタ専用回収ボックスが大量生産されて熱心にみんなで

回収する運動が広まったのです。

よくよく考えたら、回収にかかる費用、つまりガソリン代のほうが

高くつくのは最初からわかっていて、それおかしいよ

と指摘した知識人もたくさんいたはずなのですが

その声は長い間無視されてきました。

それもこれも、自分達の善意のボランティア活動を

邪魔するんじゃない!という一心からでした。

結局、儲けたのはフタ専用ボックスを作った業者と回収作業をする業者だけでした。

ペットボトルのフタを回収する無駄な行動は今すぐやめなさい

しかしながら一度広まってしまった間違った知識を払拭

することは容易ではありません。

頑強にペットボトルのフタはゴミなんかじゃない!

価値ある資源だと口々に主張する人たちを生み出してしまったのです。

元々はタダのゴミだったものが、今度は

値段がつく以上ゴミではない、なぜ燃やすのかと

あべこべな理屈になってしまったのです。

これは、きちんと正しい知識を本人が知って納得して

やめてもらうしかありません。

集めても足が出るモノは経済的にみたらやっぱり

ゴミなんだと理解してもらうしかないのです。

燃えるゴミに容赦なく捨てないといけないのです。

掲示板でペットボトルのフタ論争をする人たちを見て

ペットボトルのフタを集める作業がペイしないという

ことが次第に広まり始めた頃、ある掲示板で論争があったの

を見たことがあります。

その掲示板の管理人は東大卒の人で理路整然とこれは

意味がない行動なんだと主張していました。

すると無知というか損得勘定ができない人が、いやゴミじゃない、

価値がある、ワクチンになると言い争いをしていました。

そして最後はその東大卒の人がキレて、

ゴミにも価値はあるかもしれんが、1kg2円のものを運ぶのに

1,000円かけていたらそれはタダのゴミなんだと言ってました。

その時、ああ、何べん言っても理解できない人はいるんだ

と、そら東大卒の人が怒るはずだわと思いました。

まとめ

そして今回また同じ行動をする人をみてそのことを思い出しました。

どうして自分が善意だと思ってやっていることが

経済的に損失をもたらすことになっていると

考えが及ばないのか理解に苦しみます。

「これお金になるのよ~なるのよ~」と無邪気に連呼する

その姿を見て喉元までやめろと出かかったのですが

よう言いませんでした。

もはや信仰心に近いその考えを捨てろというのは

隠れキリシタンのように無理だというものです。

早く無駄な行動をやめてほしいという目で

あたたかく見守るしかなさそうです。

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