いきもののいのちの話

釣りに行けなくなった話

昔、父親の趣味が魚釣りでよく一緒に船釣りに連れて行ってもらってました。

糸釣りで船べりから糸をたらして引っかかるのを待つのですが、

当初は釣ることが楽しかったのです。

が、ある時、同席していたベテランの釣り師が、

船に釣り上げられた小さな鯛が暴れるのを見て、

「この魚はね、自分が次に殺されるんだってことがわかってるんだよ」

と教えてくれたのです。

釣りでは魚の鮮度を保つためにその場でシメるという作業を

漁師がやっていました。

それを聞いたときにまだ子供(中学か高校生くらい)だったのですが、

諸行無常を感じて、釣りに行けなくなりました。

それ以来、釣りが趣味な人から釣りを誘われても二度と行っていません。

ある番組の食育という話を聞いて

先日、なんでも鑑定団という番組のゲストの一般人の人が食育ということで

一羽の鳥を小学校で育てているということをやっていました。

そして、司会の人に育ててそれどうするんですかと言われ、

シメて食べるのだ、子供たちに食べさせるのだと言っているのを見て

ちょっとそういうのはどうなのかと疑問に思いました。

殺すために育てる、一般人がそれをするのは教育なのかどうか。

いのちの大切さを教えると言っておいて、それが一番わかってないのは

その育てようとしている人なんじゃないかって思ってしまいました。

私ならむごくてそんなこと絶対できません。

マタギになる人のドキュメンタリー番組をみて

熊などを猟銃で駆除し狩猟に専業する人たちを「マタギ」といいます。

そのマタギになるために都会から来た若者のドキュメンタリーをやってました。

マタギの高齢化が進んでいて後継者がいないってこともわかります。

ですが、その都会の大学を出て田舎を旅行していたら

マタギをなりわいとしてる人達に出会って感化されたからといって

マタギになろうとしている若い人をみて、

いったい自分たちが仕事で何をしようとしているのか

ちゃんとわかってるのかなって思いました。

熊の脳天や心臓めがけて銃を撃つって物凄く大変なことですよ。

精神的にもストレスがかかります。

これというのも私はあるニュースを知っていたからです。

マタギは誤射という危険をともなう仕事である

マタギがシカなどの害獣駆除をしていると、獲物の追い立て役が必要です。

つまり、自分一人で猟をしているわけではないのです。

そしてそのニュースというのはある猟師さんが誤って同行した人を撃ってしまったのです。

撃たれた方は即死だったらしく、それを知った撃った猟師さんは

自責の念に駆られてその場で自殺しました。

なにも自殺せんでも…と絶句しました。

何年か前のニュースです。

こういうニュースを知っていたので、猟銃を使う仕事って怖いなって思ってました。

先のマタギになろうとしている若い人もそういう事件

は知ってるのかなと疑問に思いました。

まとめ

いきものの命は猟師さんが代行して仕事をしてくれるおかげで私たちは生きれます。

それに感謝して生きていますが、自分がやるとなるとなかなかハードな

仕事じゃないかって思います。決して趣味や食育だといいながら

いきものの命を扱うようなことは軽々しくはできることじゃないと思います。

編集後記

チンジャオロースを作ったのですがメキシコ産の牛肉を使ったらちょっと臭みがありました。こういう料理話もそのうち書いていきたいと思います。

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